兼六園を知る

兼六園は、相反する六つの景観を兼ねている庭園であることから、その名前が付けられました。

相反する六つの景観は、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望です。

兼六園を命名した人は、公家(くげ)のなかでも、一番位が高かった摂関家(せっかんけ)と言われています。

兼六園の扁額(へんがく)(建物の入口などにある看板)を書いたのは、江戸幕府の第8代将軍、徳川吉宗の孫、松平定信です。

六つの景観を兼ねている庭園

兼六園は六を兼ねる園

兼六園の名前の由来になった、相反する六つの意味は、下記のとおりです。

  • 人手が入り過ぎると(人力)、味わいのある趣(蒼古)を出すのは難しい
  • 広く大きく作ろうとすると(宏大)、奥深い静けさ(幽邃)の実現は難しい
  • 小川・滝・池を作ろうとすると(水泉)、見晴らしの良さ(眺望)の実現は難しい

この相反する六つの景観は、中国の詩人、李格非(りかくひ)が書いた「洛陽名園記(らくようめいえんき)」という書物にでてくるものです。

兼六園は、傾斜地と豊かな自然を利用しながら、両立が難しい六つの景観を実現した、稀な庭園です。

兼六園を命名した人

兼六園を命名した人

兼六園は、江戸時代の1822年(文政5年)年9月に命名されました。

兼六園の名前の命名には、公家の摂関家が関わっているされますが、はっきりしたことは分かっていません。

公家は、朝廷に仕えていた貴族のことです。

摂関家は、摂家(せっけ)とも言われ、公家のなかで、一番偉い地位にあった5家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)の家系のことです。

兼六園の扁額を書いた人

兼六園の看板を書いた人

兼六園には、扁額(へんがく)という、筆で「兼六園」の文字が書かれた額があります。

その扁額は、加賀12代藩主、斉広(なりなが)が、江戸幕府の第8代将軍、徳川吉宗の孫、松平定信(まつだいらさだのぶ)に依頼し、書かれたものです。

※兼六園の扁額は、石川県立伝統産業工芸館に貯蔵されています。

参考文献:
・村上貢、宇佐美孝 「兼六園」(北國新聞社、2013)
・長山直治、「兼六園を読み解く」(桂書房、2006)