
松の傷は、第二次世界大戦の末期の1945年(昭和20年)6月に、燃料が不足していた日本軍が、戦闘機を飛ばすため、松の木から油を採取した跡です。
燃料が不足していた日本軍は、「ドイツではマツの木を原料に戦闘機を飛ばしている」との情報を得て、松の木の油で戦闘機を飛ばすことを検討し、兼六園にある多くの松の木が犠牲になりました。
しかし、松の油を混ぜてテストしたところ、エンジンが詰まったり、プロペラが止まったりして、実用化はされなかったようです。
現在取材:
・兼六園、2018年10月20日、10月26日、10月30日
参考文献:
・福田 耕平、「戦時期における松根油の存在意義 」(埼玉大学 経済学部、2008)
・ハリマ化成グループ、「22.松根油(しょうこんゆ)を訪ねて」
https://www.harima.co.jp/pine_chemicals/trip/22/index1.html(参照:2019/1/23)