
辰巳用水は、1632年(寛永9年)に、第3代藩主、利常(としつね)が、土木工事の名人、板屋兵四郎(いたやへいひちろう)に命じて、作らせたものです。
辰巳用水が完成した1年前の1631年(寛永8年)、金沢城の近くで大きな火事があり、金沢城の防火のために、辰巳用水が作られました。
この防火のためというのは、当時の徳川幕府への建前で、実は、金沢城の防衛力を高めるため、お城の内堀や外堀に水を満たすことが目的でした。
全長約11キロメートルの辰巳用水は、金沢市を流れる犀川(さいがわ)の上流で水を取り込み、用水路を通り、兼六園に流れ、さらに金沢城に水を流しました。
上の写真は、辰巳用水の設計図になりますが、兼六園と金沢城の間で約12メートル下がり、そこから、金沢城の二の丸に向けて、約10メートル上がっています。
低い場所から高い場所に、水の水圧を利用して水を流すという、逆サイフォンの原理(日本では伏せ越しと呼ばれる)を応用した、日本で初めてのものでした。
現在取材:
・兼六園、2018年10月20日、10月26日、10月31日
参考文献:
・村上貢、宇佐美孝 「兼六園」(北國新聞社、2013)