前田利常イメージ

1931年(寛永8年)、前田家謀反の噂が、江戸城に広がります。

理由は、火事で焼けた金沢城を無断で修復したこと、船舶の購入をしたこと、などです。

加賀藩3代藩主利常が、説明のため江戸に駆けつけるも、将軍、徳川家光には謁見が許されませんでした。

この危機を救ったのは、加賀藩家老の横山康玄(よこやまやすはる)です。

加賀藩の危機

加賀八家の一人だった康玄は、詰問する幕府老中、土井利勝(どいとしかつ)に弁明し、何とかピンチを切り抜けました。

これは、「寛永の危機」と呼ばれ、加賀藩を揺るがした大きな事件でした。

※「加賀八家(かがはっか)」とは、1万石以上の加賀藩の8人の家老のことです。

加賀藩主利常は、幕府によからぬ疑いをかけられぬよう阿保を装い、鼻毛を伸ばして江戸城に登城するようになった、と言われています。

工芸王国

しかし、利常は、阿保ではなく、加賀藩の危機を乗り越え、100万石を守り、工芸王国の基礎を作った立派な藩主でした。

加賀藩の工芸については、下記に記載しています。
加賀藩には工芸職人が100人いたのは本当?

参考文献:
・能登印刷出版部 「金沢謎解き街歩き」(実業之日本社,2015年)
・歴史の読み物、「前田利常 あえて鼻毛を伸ばし、加賀百万石を保たんとす」
https://app.k-server.info/history/maeda_toshitsune/(参照:2019/1/25)
・金沢・富山県西部広域観光推進協議会、「幕府との確執、加賀藩の生き残り戦略」
http://kagahan.jp/point4/(参照:2019/1/25)