
前田利家(まえだとしいえ)は、加賀藩の礎を築いた人物で、前田家初代であり、加賀藩の祖になります。
利家は、尾張国(愛知県)の生まれで、織田信長に仕え、数々の戦で功績を上げ、能登一国23万石を与えられます。
豊臣秀吉の時代には、徳川家康と並んで、5大老の一人となり、秀吉が亡くなる前には、秀吉の息子、秀頼(ひでより)の後見人に指名されました。
利家は、律儀者と言われ、秀吉や周囲からの信頼が厚かったようです。
秀吉が亡くなってからは、天下を取ろうと暗躍する家康と、豊臣家側に付く利家は、幾度となく対立します。
晩年、利家の病気が悪化し、家康が見舞いに訪れた時には、布団の中に鞘から抜いた刀を忍ばせていた、というエピソードが残っています。
利家の死後、家康は加賀への侵攻を計画しますが、加賀藩主の利長(利家の息子)が、母(利家の妻)の芳春院を、人質として差し出すことで、事なきを得ました。
その後も、加賀藩は、徳川幕府から幾度となく謀反を疑われるものの、幕府の機嫌をうまく伺いながら、利家が築いた加賀藩を守りました。
利家は、戦での功績は去ることながら、その実直な人柄によってその時代の指導者の信頼を得て、加賀藩を築いた人物でした。
参考文献:
・能登印刷出版部 「金沢謎解き街歩き」(実業之日本社,2015年)
・村上貢、宇佐美孝 「兼六園」(北國新聞社,2013)